「僕等がいた」は学生時代、一番好きな漫画だった。
出会いは、中学三年生のときだった。友達に借りて読んで、おもしろくて自分でも全巻買った。
実を言うと、私は大学時代、七美と同じく出版社で働くのを夢見ていて、東京に行けば心にわだかまっている彼と再会するんじゃないか、なんて淡い期待もしていた。
就活時は、12巻〜最終巻を何度も読み直してモチベーションにしていた。
(結局、私は出版社には受からず、彼も就職先が東京ではなく、同じようなストーリーにはならなかった。)
話を戻そう。
そんな大好きな僕等がいたが、映画化されると知ったときは飛び跳ねて喜んだし、主題歌がミスチルと聞いて失神するくらい嬉しかった。
映画の前編も後編も違う主題歌であり、どちらもストーリーの世界観を壊さないどころか
より感動を助長させるメロディで、両方のファンである私は、精神を気絶させた。
冬になって寒い日が続き、冷たい手をさすっていると、無意識に口ずさんでしまっている。
『悴んだ君の手を握り締めると
「このまま時間が止まれば・・・」って思う
覗き込むような目が嘘を探してる
馬鹿だな 何も出てきやしないと笑って答える』
***
この曲にはもうひとつ思い出がある。
私は恋を終わらせるとき、じゃあ、またね、くらいの軽い感じで終止符を打つ。
しかし、一度だけ、別れたあと彼を思い出して泣いたことがある。
一人暮らしを始めて付き合った人で、自分の部屋にいると嫌でも思い出が蘇ったからかもしれない。残念ながら、感傷に浸るような感受性は持ち合わせていた。
そのとき、なぜだか無性に聴きたくなったのが「祈り〜涙の軌道」だった。
失恋や悲しい曲ではないのに、一日中リピートをして
部屋で、お風呂で、力任せに声を出して歌った。
『さようなら さようなら さようなら
夢に泥を塗りつける自分の醜さに
無防備な夢想家だって 誰かが揶揄しても
揺るがぬ想いを 願いを 持ち続けたい』
***
改めて歌詞を見ていると、一箇所とても今の自分だと嫌気が差す歌詞があった。
『見慣れた場所が違う顔して見えるのも
本当は僕の目線が変わってきたから
「純粋」や「素直」って言葉に
悪意を感じてしまうのは
きっと僕に もう邪気があるんだね』
人間、収入やプライベートが充実しているほど、心に余裕がある。
三年前までは私もそうだった。
今は、30歳を目前に仕事もなければ恋愛もしていない。
何かに夢中になれていればいいが、進むはずだった道がコロナでダメになりそうで
迷子状態である。非生産的な日々を生きているだけだ。
そんな精神状態だから
周囲が結婚をしたり、出産をしたり、楽しく仕事をしていたり
祝福すべき出来事を素直に喜んであげられない。
皮肉や悪態をついてしまう。
激励の言葉をもらっても、勝手に裏の意味で捉えて
自分を傷つけてしまう。
ついには、耐えきれなくなって、その人たちから逃げてしまった。
自分の中の邪気に押しつぶされそうになっている。
***
子どもの頃は無邪気だった気持ちが
成長するにつれエゴやプライドが邪魔して、猜疑心や嫉妬心ばかり大きくなっていく。
大人になっていくほど心も体も自由に生きれなくなってしまうけど
自分の軸をしっかり持って、周りに流されずにいれば
心のゆとりも自ずと生まれてくるだろうか。
この曲を聴いて、静かに祈ろうと思う。
『忘れないで 君に宿った光
いつまでも消えぬように 見守りたい』
『さようなら さようなら さようなら
憧れを踏みつける自分の弱さに
悲しみが 寂しさが 時々こぼれても
涙の軌道は綺麗な川に変わる
そこに
笹舟のような 祈りを 浮かべればいい』
2021/01/14