Day23「また会えるかな」
「あいつ今何してる?」
現在、テレビ朝日系列で放送されているテレビ番組である。(今日放送だった)
芸能人の学生時代の友人を探しアポを取る番組だが、卒業以来会っていないことが多い。
その番組で、「また会えるかな」が流れる。
この番組のために作詞されたのか?と疑いたくなるほど、番組の趣旨によく沿った歌詞である。
櫻井さんの心地よい歌声が、さらに過去を回顧するときのなんとも言えない懐かしさとマッチして、涙を流してしまいそうになる。
テレビを見ながら、自分の過去も同時に振り返ってみた。
そして、数年前なら、そこまで思わなかったが、
30歳を目前にして、大学のときに仲が良かった友人ですら会っていないことに愕然とした。
当時は、あんなに近い距離にいたのに。
***
2020年の年明けしてすぐ、私は会社を辞めて地元に帰った。
大学卒業後、毎年長期休暇のたびに中学の同級生が数人集まっていたのは知っていたが
いつでも行けるか、ときちんと参加したのは三年前の一度きりだった。
地元に帰ると決めてから、今年のGWは参加しよう、と考えていた。
察しの通り、そんなことはできない世の中になってしまった。
中学生のときから、なんとなく心に引きずっていた男性がいる。
彼とはいつもすれ違っていて、距離が近づいたときに思いを伝えようと構えているのに
いざそれを伝える絶妙なタイミングでまた離れてしまう。
そんなことが中学生〜社会人まで何度かあった。
彼がその同窓会に出席する可能性が高いのも知っていて、だからこそ密かに楽しみにしていた。また近づけたらいいな、なんて思って。
彼を思い出すと、純粋に人を好きになっていたまだ幼い自分と彼との数々の記憶の片鱗が脳内で再生されて、胸が締め付けられる。
会える人には会えるときに会っておくべきだった、とひどく後悔している。
『また会えるかな また会えるかな
ほら僕は君が気になりだした
また会えるよね また会えるよね
社交辞令であっても真に受けたいな』
***
地元ではテレビ局の仕事に就いた。
別の夢もあったため、地元の友人には特に知らせはしなかった。
ある日、大学時代の友人から突然連絡があった。
文面には、ある名前と、その子に連絡先を教えてもいいか、という確認だった。
私は、その名前を見て驚いた。
実に15年ぶり、小学生時代の親友の名前だったからだ。
小学校卒業と同時に転校した私は、小学生時代の友人と誰一人繋がっていなかった。
それがまさか、大学時代の友人と小学生時代の友人が、同じバイト先で繋がっているなんて、世間とはなんと狭いことか。
私たちはすぐにテレビ電話をした。
会えない代わりにテレビ電話が普及してくれてよかった。人目を気にせず、昔のことを思い出しながら、私たちはなんと6時間も話をしていた。
性格も趣味も何もかも違った私たちはなぜか親友だった。
毎日のように日が暮れるまで遊んでいた。
時々、今何してるのかな?と気になっていた彼女と思いがけない再会で
お互いの近況を知れたのは奇跡のようなことだった。
彼女と話すことで、そのときの自分の考えとか思い出とか
忘れていた記憶が蘇ったことも嬉しかった。
その電話で、私は、今テレビ局で働いていることを伝えた。
後日、彼女から私の作った番組の感想がLINEで送られてきた。
自分で制作した番組の初めての視聴者が、15年ぶりの親友。
悪くないな、と思った。
こんなご時世が終わったら、私たちはまた会うだろう。
『また会えたなら 次会うときは
愛聴盤や愛読書なんか持参で
ほんの一杯の つもりで飲んで
青春時代みたいにして 夢並べて
夢並べて hey,hey,hey』
***
この曲は、恋愛をテーマにしているかもしれない。
でも、「また会えるかな」と思い焦がれるのは
好きな人に対してだけではない。
そのときそのときを一生懸命に生きていた
いつかの自分にも、だったりする。
2021/01/13