Day5「いつでも微笑みを」
何年か前、某損害保険会社のCMで流れていた。
それまで、なんだか怖い歌詞だなあ、と敬遠していたが、テレビを見ていると無意識に聴くことが増えて、メロディめっちゃいいやん、と毎日のように聴いていた時期がある。
七年前、父方の祖母が他界した。
五年前、母方の祖母が亡くなった。
「死」と「自分」についてよく考えた時期だった。
肉体が滅びたら、私という存在は消えて亡くなってしまうんだろうか?
魂というのが本当にあるなら、死んだあとも現世を彷徨うのだろうか?
それとも、後世に受け継がれて、今の私を消しながら新しい自分(個体)として生きていくのだろうか?
そもそも、今いる私は本当に実在した個体なのだろうか?
もちろん、考えてわかる問題ではないし、誰かが答えを知っているわけでもない。
昔の偉人のように考えて考えて考えて、デカルトが「我思うゆえに我あり」と唱えたり、ヒンドゥー教の輪廻転生に辿り着いたり。
生とか死ってつい考えてしまうけど、数学の問題みたいに、ぱあっと視界が開けるような答えを導き出すことなんてできなくて、各々がそれぞれに自分なりの答えを持っている問だと思う。
厄介なのが、本気で考え過ぎると、沼にハマって抜け出すのが困難になってしまうこと。私自身、死について考えすぎて、死ぬのが怖くて怖くて眠れなくなった夜が何度もあった。
そんなとき、この曲のフレーズに感銘を受けた。
『もし、僕がこの世から巣立って逝っても
君の中で僕は生き続けるだろう
そう思えば何とか やっていけそうだよ』
素晴らしい。まさに、その通りだと。
私は、未だに祖母の声も仕草も笑った顔も思い出せる。
私の中では確かにまだ生きていて、死んだなんてまだまだ実感がわかない。
今でも祖母の家に行けば笑顔で出迎えてくれるんじゃないかとさえ思っている。
でも、それが、祖母はまだ生き続けてるってことで
私が死んでも、誰かの中で存在し続けたいと強く思った。
そう考えたら、死ぬのが怖いって気持ちが少し楽になった。
そして、自分の生きていた証を残すのって大事なことなんじゃないかと感じた。
最近、コロナの影響で日本中、世界中の気持ちが沈んでいるように感じる。
好きなときに好きな人と好きなことをする自由が突然奪われるなんて、誰も予想していなかった。
そんな負の空気が流れているのが影響しているのか、芸能界でも訃報のニュースをよく目にする気がする。
テレビで見かけることが多かった有名な方が多いから、特に頭に残っているのかもしれない。
だけど、亡くなられた方は家族や周りの方々だけでなく、作品や視聴者の記憶にきちんと残っている。作品を見ればまたその俳優さんに会える。
きっと、今の時代が終わっても、作品さえあれば次の世代でも誰かの中で生き続ける。
言わずもがな、Mr.Childrenもこの先ずっと多くの人に楽曲が聴かれ続け魅了させ続けるだろう。
いつの日か、NHKの朝の連続テレビ小説とかで、今の「エール」みたいにドラマ化される日がくる気がする。できることなら、私もそのドラマを見たい。おそらく無理だが。
今の時代、芸能関係者とかじゃなくても作品を残す方法はたくさんある。
自分の生きた証を残すにはどの方法が最適か
最近はそんなことばかりを考えている。