Day29「擬態」

春は別れと出会いの季節である。

学生の頃から春はワクワクと期待をせずにはいられない季節だった。

何か新しい出会いがあるかな?誰と同じクラスになれるかな?どんな人と一緒に働くのかな?

昔好きだった人と思いがけず再会したりしないかな?

 

漫画「パーフェクトワールド」はそんな運命的な再会から話が進む。

少女漫画育ちの私にとって、そんなロマンティックな再会は、状況的にオイシイ。

学生の頃に忘れられない片思いがあることも主人公と重なって、読み始めた。

 

一度目は、4年前。まだテレビドラマも放送される前。導入も絵も好きだった。

でも、主人公が再会した相手が事故で身体障害を負って、車椅子に乗るシーンで、思わず閉じてしまった。どんな話が展開されるのか知らなかったけど、怖くなった。ショックを受けた。

 

それから4年の月日を経て、「パーフェクトワールド」が再び私の目に触れた。

連載が終了したことで、出版社公式アプリで全話無料開放中という。

この4年の間に、私の身の回りではいろんなことが起きた。

学生からの恋の終焉。二度の転職からの無職。それに伴う転居。新しいことへの挑戦。・・・

 

今なら読めるかも、と思った。全話読めるチャンスを利用することにした。

読んでみると、話数を進めるごとに胸が苦しくなった。何度も何度も泣いた。毎日8話ずつ無料で読めるが、途中はそれだけじゃ足りなくてストックしておいたチケットまで使って一気に何十話も読んだ。

普通の恋愛漫画じゃないからと4年前に切り捨てた自分を殴りたい。もっと早くに読んでおきたかった。それくらい、心動かされる作品だった。

題名の意味がわかったときは、哀しくなった。

 

私も将来的に物書きとして生きていきたい身として、自分が経験していないことをどれだけ「リアル」に書けるかは課題だと思っていた。

作者の有賀先生は、身体障害を持つ男性と健常者の女性の恋愛を、特別ではなく日常としてなんてことないカップルの一つとして書いていた。

もちろん、障害が原因の葛藤や合併症、生活の苦労もきちんと描かれている。だけど、障害をハンデとか悪いこととか、そういう気持ちにはさせないストーリーだった。

 

長々と素晴らしい作品について語ってしまったが、この話を読みながら私の頭の中で何度も流れ、つい口ずさんでいた曲があった。表題の「擬態」である。

 

“富を得た者はそうでない者より満たされてるって思ってるの!?

障害を持つ者はそうでない者より不自由だって誰が決めんの!?

目じゃないとこ 耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ 見落としてしまう

何かに擬態したものばかり”

 

櫻井さんの歌詞は、小説的だと感じる。肉付けしたら、そのまま出版できそうなほどリアルだから胸に響く。葛藤や苦しみの描写が深いから、共感できる。

 

擬態は、何かを得た人だって何かを失った人だってただの日常を生きていて、その中で幸福や不幸を感じるのは同じで、何も特別なんてことはない。だから、誰かを羨んだり蔑んだりするのは違うし、夢を叶える機会は誰にでも等しく与えられているってことを言いたいんじゃないかと思う。

パーフェクトワールドを読んで、ここの歌詞の意味が少しわかった気がする。

 

ただ、その機会を見抜けるかどうか、掴めるかどうかは自分次第。

世の中には何かに擬態したものばかりだから。

自分がどんな人間であれ、騙されず流されず、現在を超えていく必要がある。

 

“今にも手を差し出しそうに優しげな笑顔を見せて

水平線の彼方に希望は浮かんでる”

 

正直、この「擬態」の歌詞を完全に理解するのは難しい。

だから、いつか櫻井さんにお話を伺える機会なんて奇跡的なことが起きれば

ぜひ制作背景なんて聞いてみたいな、なんて夢物語みたいなことを今日も考えている。

 

2021/04/05

 

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Day28「名もなき詩」

「韻を踏む」なんて、中学生のときは気にもとめたことがなかった。

韻、を初めて実感させてくれたのは、『名もなき詩』だった。

 

ある日父が、この曲を聴きながら言った。

「櫻井さんは韻を踏むのが上手だね」

 

どういう意味?と聞いた私に、父はこのフレーズを口ずさんだ。

 

『君が僕を疑っているのなら

 この喉を切ってくれてやる

 Oh darlin 僕はノータリン

 大切な物をあげる』

 

「ダーリンとノータリンが韻を踏んでるやろ?」

 

それからミスチルの曲を聞くたびに「ここ韻踏んでる」と

櫻井さんの見事な言葉選びに脱帽することも秘かな楽しみになっている。

 

 

***

 

名もなき詩」の好きな点はまだある。

その中の一つが、当時思春期で友人関係に悩んでいた私の心を救った歌詞だ。

 

『どれほど分かり合える同志でも

 孤独な夜はやってくるんだよ

 Oh darlin このわだかまり

 きっと消せはしないだろう』

 

仲がいいと思っている人に囲まれているのに

ふと、突然、自分だけが輪の中に入れていない気がする。

急に客観的にその様子を眺める自分がいて、ひどく孤独を感じる。

 

そんな風に感じるのは私だけだと思っていた。

だから、誰にでもあることなんだと安心することができた。

(櫻井さんが、そういう意味でこの歌詞を書いたつもりはなくても

一人の少女を救ったのは事実である)

 

 

***

 

名もなき詩』は

 

本気で壁にぶつかったり

本気で自分を見失ったり

本気で足を踏み外したり

本気で落ち込んだり

 

そういう感情のときにこそ聴きたい曲である。

 

なぜなら、「僕だってそうなんだ」と共感してくれる歌詞だから。

 

『だけど あるがままの心で

 生きようと願うから

 人はまた傷ついてゆく

 知らぬ間に築いてた

 自分らしさの檻の中で

 もがいてるなら誰だってそう

 僕だってそうなんだ』

 

誰だって根拠もなく不安で情緒不安定になることはある。

心が弱っているとき、誰かに相談できなければ

名もなき詩』を聴いてほしい。

 

2021/01/30

 

YouTubeofficialチャンネルには二つのライブ映像が配信されている。

 お好きな方を聴いてみてほしい。

 

"HOME" TOUR 2007 ~in the field~  Release Date:2008.08.06

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Dome Tour 2019 “Against All GRAVITY” Release Date:2019.12.25

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Day27「空風の帰り道」

『今日の日が終わる

 また来週に会える

 「さよなら」は悲しい響きだけど

 君とならば愛の言葉』

 

あと数時間で27歳の誕生日が終わってしまう・・・

そう考えていると、脳内にこのメロディが流れてきた。

 

憂いや哀しさを帯びた静かなメロディに櫻井さんの優しい歌声が乗る。

「空風の帰り道」はそんな曲だ。

 

誕生日だから、もっと明るいポップな曲を選曲しようと思っていたが

歌詞を見ると、この曲こそ誕生日にふさわしいんじゃないか、と感じた。

 

***

 

小さい頃は早くオトナになりたい、と願っていたけど

いざオトナになってみると、子どもの頃思い描いていたオトナよりも

全然かっこよくなくて、充実もしてなくて

いつまでも満たされない気持ちでいる。

 

まだ、納得できる自分じゃないのに

もう誕生日が来てしまった

 

25歳を迎えたあたりから、歳を取るのがこわくなった。

 

『悔やんでも 嘆いてても

 時間は過ぎてしまうから

 花や草木に習い僕ら

 黙って手を振ろう(バイバイ)』

 

 

でも、その一方で

またこうして、健康で元気に歳を取れたことを嬉しくも感じている。

 

『昨夜見たテレビの中

 病の子供が泣いていた

 だからじゃないが こうしていられること

 感謝をしなくちゃな』

 

 

悩みや不安があるのは生きているから。

生命を授けてくれた両親、先祖に感謝をして

悔いが残るような行動は慎み

自分のやりたいことに愚直に向き合う一年にしたい。

 

『からっ風が吹いたから

 ポケットに手を入れて歩くよ

 花や草木に習い僕は

 向かい風をうけて

 一人でバス停まで

 からっ風の帰り道』

 

 

 

2021/01/29

 

 

 

 

Day26「Happy Song」

『少しだけ仕事をほっぽって

もうどっか遠くに行こう

軽井沢 ハワイ いや エベレスト

世界中をひとしきり空想』

 

代わり映えのない毎日がいやになって

やらなきゃいけないことから逃げたくて

 

現実じゃないどこかへ行きたくなることが、

きっと誰にでもある。

 

自分の思いとは裏腹に、今日は終わる

日々は巡る

また、新しい朝が来る

 

『めまぐるしく変わっていく世界に

 ちょっと足がすくんでしまいそうな近頃

 まるで 前へ倣えの 右へ倣えの 優等生モード』

 

予定通りに進まなくて

何度も計画を立て直して

忙しく過ごして

あるとき、疲れてしまったと嘆く夜もある

 

『もうのんびりと生きていきたいなんて

 ちょっと口にしてみたりする近頃

 まるで吠えない犬 羽のない鳥 ちゃんと放送コード』

 

お金がないと生活できない

家族を養えない

だから、働く

間違いじゃない

 

自分の夢を追いかけたい

やりたいことを見つけたい

だから、走る

それも正解

 

どんな生き方だって楽しいときは楽しいけど

辛いときは辛い

 

『でもI believe 相も変わらずに

 いつだってこの胸に流れる

 悲しいほどにハイテンションな

 Happy Songを歌おうよ』

 

こんな世の中になるなんて思ってもみなかった

将来のことを考えると期待よりも不安が勝って

もう若くもないしスキルも資格もないのに

このままでいいんだろうかと

 

未来を見るのが怖くて

つい虚構の世界に逃げてしまったことを悔い改め

心新たにスタートを切れるよう

戒めを込めて。

 

『どういう未来が待っていようとも

 向こうの景色を 僕は見に行かなくちゃ

 きっとウンザリしたり凹んだり

 新たな敵が道を塞いでても

 さぁ!』

 

とにかく、

会社を辞めて後悔した

とだけは、思いたくない

 

いつだって どんな逆境や状況だって

前に進むしかない

 

2021/01/20

 

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Day25「靴ひも」

私のパーカーについたヒモを見て、妹が言った。

 

「太いね。靴ひもみたい」

 

単語を聞いただけで、もうダメだ。

頭の中の音楽プレーヤーが、再生ボタンを勝手に押した。

「靴ひも」のサビが流れ出した。

 

『靴ひもを結ばずに 駆け足で飛び出して

 停留所を通過して そのバスに飛び乗って

 あぁ一秒でも早く君の待つ場所へ』

 

***

 

そういえば、スニーカーって中学を卒業してからずっとあまり履いてこなかった。

高校はローファーだし、プライベートではブーツやパンプスのような女性らしい靴を履きたがっていた。

 

もう一度スニーカーを履くようになったのは、社会人になってから。

仕事で半強制的にパンプスを履かなきゃいけなくて、その反動で、休日くらいは、楽に歩きたかった。

 

スニーカーの種類がもっと欲しくなって

履き心地とかデザインとか、スニーカーって10年くらい見ないだけで

こんなにおしゃれな履物に変わっていたんだ、と驚いた。

 

そして、こんなに歩くのを楽しくしてくれるんだ、と思った。

 

気づいたら、ヒールや履きにくい靴が玄関に並ばなくなっていた。

 

ただ、ひとつだけ昔と違うことがある。

これは私だけかもしれないが、

靴ひもを履くたびに結んだりしなくなった。

 

この曲では、「靴ひもを結ばずに」とあるが、たまに解けたときに結ぶくらいだなあ、と。

(小学生のときは、確かによく結んでいた記憶がある)

 

***

 

とにかく、この曲の主人公が、すべてを捨ててでも「君」がいい、と

がむしゃらに君の元へ走る姿がいい。

高校生みたいに青くて、若さが弾けている。

そこまで愛されたことなんて、青春時代を入れてもない気がする。

 

『渋滞で停車した このバスを飛び出して

 靴ひもを気にせずに 全力で駆け出して

 愛しくて 切なくて 君の色で濁っている

 その部分が 今一番 好きな色 僕の色

 あぁ一秒でも早く 君の待つ場所へ

 あぁ一瞬でも早く 君の待つ場所へ』

 

 

大人になると、誰かのために(自分のためですら)走ることがなくなる。

だから、たまには、周りの視線とか冷静さとかすべて忘れて

本能のまま、想いのままに走る気持ちを大事にしたい。

 

 

2021/01/19

 

 

 

 

Day24「祈り〜涙の軌道」

僕等がいた」は学生時代、一番好きな漫画だった。

 

出会いは、中学三年生のときだった。友達に借りて読んで、おもしろくて自分でも全巻買った。

 

実を言うと、私は大学時代、七美と同じく出版社で働くのを夢見ていて、東京に行けば心にわだかまっている彼と再会するんじゃないか、なんて淡い期待もしていた。

就活時は、12巻〜最終巻を何度も読み直してモチベーションにしていた。

(結局、私は出版社には受からず、彼も就職先が東京ではなく、同じようなストーリーにはならなかった。)

 

話を戻そう。

そんな大好きな僕等がいたが、映画化されると知ったときは飛び跳ねて喜んだし、主題歌がミスチルと聞いて失神するくらい嬉しかった。

映画の前編も後編も違う主題歌であり、どちらもストーリーの世界観を壊さないどころか

より感動を助長させるメロディで、両方のファンである私は、精神を気絶させた。

 

冬になって寒い日が続き、冷たい手をさすっていると、無意識に口ずさんでしまっている。

 

『悴んだ君の手を握り締めると

 「このまま時間が止まれば・・・」って思う

 覗き込むような目が嘘を探してる

 馬鹿だな 何も出てきやしないと笑って答える』

 

***

 

この曲にはもうひとつ思い出がある。

私は恋を終わらせるとき、じゃあ、またね、くらいの軽い感じで終止符を打つ。

しかし、一度だけ、別れたあと彼を思い出して泣いたことがある。

 

一人暮らしを始めて付き合った人で、自分の部屋にいると嫌でも思い出が蘇ったからかもしれない。残念ながら、感傷に浸るような感受性は持ち合わせていた。

 

そのとき、なぜだか無性に聴きたくなったのが「祈り〜涙の軌道」だった。

失恋や悲しい曲ではないのに、一日中リピートをして

部屋で、お風呂で、力任せに声を出して歌った。

 

『さようなら さようなら さようなら

 夢に泥を塗りつける自分の醜さに

 無防備な夢想家だって 誰かが揶揄しても

 揺るがぬ想いを 願いを 持ち続けたい』

 

***

 

改めて歌詞を見ていると、一箇所とても今の自分だと嫌気が差す歌詞があった。

 

『見慣れた場所が違う顔して見えるのも

 本当は僕の目線が変わってきたから

 「純粋」や「素直」って言葉に

 悪意を感じてしまうのは

 きっと僕に もう邪気があるんだね』

 

人間、収入やプライベートが充実しているほど、心に余裕がある。

三年前までは私もそうだった。

 

今は、30歳を目前に仕事もなければ恋愛もしていない。

何かに夢中になれていればいいが、進むはずだった道がコロナでダメになりそうで

迷子状態である。非生産的な日々を生きているだけだ。

 

そんな精神状態だから

 

周囲が結婚をしたり、出産をしたり、楽しく仕事をしていたり

祝福すべき出来事を素直に喜んであげられない。

皮肉や悪態をついてしまう。

 

激励の言葉をもらっても、勝手に裏の意味で捉えて

自分を傷つけてしまう。

 

ついには、耐えきれなくなって、その人たちから逃げてしまった。

 

自分の中の邪気に押しつぶされそうになっている。

 

***

 

子どもの頃は無邪気だった気持ちが

成長するにつれエゴやプライドが邪魔して、猜疑心や嫉妬心ばかり大きくなっていく。

 

大人になっていくほど心も体も自由に生きれなくなってしまうけど

自分の軸をしっかり持って、周りに流されずにいれば

心のゆとりも自ずと生まれてくるだろうか。

 

この曲を聴いて、静かに祈ろうと思う。

 

『忘れないで 君に宿った光

 いつまでも消えぬように 見守りたい』

 

『さようなら さようなら さようなら

 憧れを踏みつける自分の弱さに

 悲しみが 寂しさが 時々こぼれても

 涙の軌道は綺麗な川に変わる

 そこに

 笹舟のような 祈りを 浮かべればいい』

 

 

2021/01/14

 

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Day23「また会えるかな」

「あいつ今何してる?」

 

現在、テレビ朝日系列で放送されているテレビ番組である。(今日放送だった)

芸能人の学生時代の友人を探しアポを取る番組だが、卒業以来会っていないことが多い。

 

その番組で、「また会えるかな」が流れる。

 

この番組のために作詞されたのか?と疑いたくなるほど、番組の趣旨によく沿った歌詞である。

櫻井さんの心地よい歌声が、さらに過去を回顧するときのなんとも言えない懐かしさとマッチして、涙を流してしまいそうになる。

 

テレビを見ながら、自分の過去も同時に振り返ってみた。

そして、数年前なら、そこまで思わなかったが、

30歳を目前にして、大学のときに仲が良かった友人ですら会っていないことに愕然とした。

当時は、あんなに近い距離にいたのに。

 

***

 

2020年の年明けしてすぐ、私は会社を辞めて地元に帰った。

大学卒業後、毎年長期休暇のたびに中学の同級生が数人集まっていたのは知っていたが

いつでも行けるか、ときちんと参加したのは三年前の一度きりだった。

 

地元に帰ると決めてから、今年のGWは参加しよう、と考えていた。

察しの通り、そんなことはできない世の中になってしまった。

 

中学生のときから、なんとなく心に引きずっていた男性がいる。

彼とはいつもすれ違っていて、距離が近づいたときに思いを伝えようと構えているのに

いざそれを伝える絶妙なタイミングでまた離れてしまう。

そんなことが中学生〜社会人まで何度かあった。

 

彼がその同窓会に出席する可能性が高いのも知っていて、だからこそ密かに楽しみにしていた。また近づけたらいいな、なんて思って。

 

彼を思い出すと、純粋に人を好きになっていたまだ幼い自分と彼との数々の記憶の片鱗が脳内で再生されて、胸が締め付けられる。

 

会える人には会えるときに会っておくべきだった、とひどく後悔している。

 

 

『また会えるかな また会えるかな

 ほら僕は君が気になりだした

 また会えるよね また会えるよね

 社交辞令であっても真に受けたいな』

 

***

 

地元ではテレビ局の仕事に就いた。

別の夢もあったため、地元の友人には特に知らせはしなかった。

 

ある日、大学時代の友人から突然連絡があった。

文面には、ある名前と、その子に連絡先を教えてもいいか、という確認だった。

 

私は、その名前を見て驚いた。

実に15年ぶり、小学生時代の親友の名前だったからだ。

 

小学校卒業と同時に転校した私は、小学生時代の友人と誰一人繋がっていなかった。

それがまさか、大学時代の友人と小学生時代の友人が、同じバイト先で繋がっているなんて、世間とはなんと狭いことか。

 

私たちはすぐにテレビ電話をした。

会えない代わりにテレビ電話が普及してくれてよかった。人目を気にせず、昔のことを思い出しながら、私たちはなんと6時間も話をしていた。

 

性格も趣味も何もかも違った私たちはなぜか親友だった。

毎日のように日が暮れるまで遊んでいた。

 

時々、今何してるのかな?と気になっていた彼女と思いがけない再会で

お互いの近況を知れたのは奇跡のようなことだった。

 

彼女と話すことで、そのときの自分の考えとか思い出とか

忘れていた記憶が蘇ったことも嬉しかった。

 

その電話で、私は、今テレビ局で働いていることを伝えた。

後日、彼女から私の作った番組の感想がLINEで送られてきた。

 

自分で制作した番組の初めての視聴者が、15年ぶりの親友。

 

悪くないな、と思った。

こんなご時世が終わったら、私たちはまた会うだろう。

 

 

『また会えたなら 次会うときは

 愛聴盤や愛読書なんか持参で

 ほんの一杯の つもりで飲んで

 青春時代みたいにして 夢並べて

 夢並べて hey,hey,hey』

 

 

***

 

この曲は、恋愛をテーマにしているかもしれない。

でも、「また会えるかな」と思い焦がれるのは

好きな人に対してだけではない。

 

そのときそのときを一生懸命に生きていた

いつかの自分にも、だったりする。

 

2021/01/13

 

 

Day22「Prelude」

あー、今日めちゃくちゃきついな。

そんな日は誰にでもあるだろう。(私はまさに今日がそれだった)

朝から体が重かった、とか、仕事で理不尽なことがあった、とか

理由はいろいろだと思う。

家に帰って、ソファに寝転んだり、ビールを一気飲みしたり

きつい一日を乗り切った自分を労わる方法もきっと人の数だけある。

 

私は、そんなとき、「Prelude」が頭に流れてくる。

 

『Hey you 日が暮れる 今日はどんな1日だった?

 全部が思い通りにいくはずないって知ってて聞いてんだ』

 

 

 

会社員時代、ある時は仕事中、ある時は寝る前にふと考えることがあった。

「私、このまま40年間この仕事をやり続けるの?」

給料は平均より上、休みもある、福利厚生はきちんとしている

それなのに、このままでいいはずがないって思っていた。

 

そんな時に、思い出したのはこの曲だった。

 

『首を縦に振る ただそれだけで昨日が過ぎてしまった

 そんな自分を嫌にならないための言い訳を

 自分に繰り返し やり過ごしているのなら』

 

 

自分のやりたいことが見つかったけど

そのための準備は、これまでの人生でしてこなかった。

誰の支援も受けず、社会を乗り切っていけるのか不安だった。

何も持ってないけど、どうしても成し遂げたい夢。

その覚悟だけで、私は会社を辞めて無職になった。

 

この曲を何度も聴いた。

 

『夢幻を振りまいて 今その列車は走り出す

 汽笛を轟かせて 躯体を震わせて 光の射す方へ

 悩んでたことなんて 今はとりあえず棚の上へ

 要らないぜ 荷物なんて 何も持たないで飛び乗れ』

 

『信じていれば夢は叶うだなんて 口が裂けても言えない

 だけど信じてなければ成し得ないことが

 きっと何処かで僕らの訪れを待っている』

 

「Prelude」は、私にとって自分を労わる曲であり、自分を鼓舞する曲である。

これからもいつだって隣に寄り添って、私のやる気を奮い立たせてくれ続けるに違いない。

 

だから、ありがとう、と この曲に感謝を伝えたい。

 

2021/01/12

Day21「Melody」

「昔ほど雪が積もっても心踊らなくなったな」

 

朝から、妹(21歳)がふと呟いた。

 

昨日に続いて外は雪が吹雪いている。

公共交通機関は運転見合わせ。配達で来るはずだった荷物は遅延で届かず。

仕事に行かなきゃいけない人をうんざりさせているだろう。

 

だが、そんな妹の隣で、私は密かにウキウキしていた。

小学生のときに雪で覆われた世界を目にして駆けて行ったときと何も変わらない気持ちで。

 

雪が積もるだけで、毎日見ている景色が全く違うもののように光って見える。

雪だるまを作りたい。雪合戦をした遊びたい。かまくらを作って楽しみたい。

そんなわくわくした感情がこみ上げてきた。

 

『見飽きたこの街が クリスマスみたいに光る

 そんな瞬間 今日も僕は探してる

 苛立ちの毎日 行き詰まった暮らしを

 洗うような煌めくハーモニー』

 

いくつになっても、少女だったときのように

ウキウキわくわくする気持ちで世界を見続けたいと

そう思った1日だった。

 

そして、こんなに寒い日は人恋しい気持ちにもさせて

そこで大人になった自分も実感する。

 

『頼りなくて人恋しくて 心切ない夜は

 時間なんて早く進んでしまえばいいのに

 

きっと同じように夜空を見上げてる人が

どこかの町にきっといるはず』

 

ちなみに「Melody」は2014年のコーセーのメーキャップブランド「エスプリーク」のCMに使用されている。

逃げ恥とは違う華やかで煌びやかなガッキーを見ることができるのでYouTubeでCMとメーキングをぜひチェックしてほしい。

 

 2021/01/09

Day20「あんまり覚えてないや」

Day20「あんまり覚えてないや」

 

朝、目を覚ますと、窓の外は白銀の世界だった。

 

そんなことを考えていると、頭の中にメロディが流れてきた。

 

『朝 目を覚ますと

 焦茶色のフローリングに 君の抜け殻が落ちていて』

 

だから今日は、「あんまり覚えてないや」にした。

 

アルバム「HOME」は良曲揃いである。

シングルでいうと「しるし」「箒星」「フェイク」が収録されているが

CMやドラマなどメディアであまり使用されていない曲もすべて含めて

春の木漏れ日のように温かかくてポカポカするような印象を抱く。

まさに、「HOME」というアルバムを現しているのだ。

 

「あんまり覚えてないや」は、日常のことを歌っていて

毎日を目まぐるしく生きていると、昨日の夜ごはんは何だったか、とか家族と話した他愛もないこと、とか、翌日になるとあんまり覚えていない。

また新しい1日が始まって、また新しい記憶に塗り替えられて、たぶん、それは二度と思い出せない。

 

私も、趣味で小説を書いているが、ふとした時ほど胸が高鳴る一文が降りてきたりするが、すぐにメモをしないとすぐに忘れてしまう。

昔、ある作家がトイレや洗面所など家中のどこにでも紙とペンを置いて、文が降りてきたらすぐにメモがとれるような環境を作っていると聞いたことがある。今は、スマホがあるから、肌身離さず持って、すぐにメモに登録できるようにしている。

 

ただ、日常のことでも覚えていることがある。

嬉しかったこと、悲しかったこと、若かりし頃の失態、好きな人と幸せを感じた瞬間・・・

感情が大きく揺さぶられると、脳が強くインプットして記憶に残りやすいらしい。

 

この曲の歌詞でも、そういうことは「ちゃんと覚えてる」んだ。

年を重ねていくのは、そういう思い出が増えるということでもある。

 

 

よく、20歳を超えた今でも、親に聞くことがある。

 

「私って、この時どんな子どもやった?」

「お父さんとお母さんってどんなデートしてたん?」

 

親は、まるで昨日のことを話すように、笑いながら答えてくれる。

もっと年老いて、「じいちゃんになったお父さん」「ばあちゃんになったお母さん」になっても、その記憶はきっと薄れずに頭のどこかに残っていくんだろうな、と思った。

 

『キャッチボールをしたり 海で泳いだり

 アルバムだって 貼り付けてあるんだもの

 ちゃんと覚えてるんだ ちゃんと覚えてるんだ

 ちゃんと覚えてるんだ こんなに

 

 ドライブに出かけたり(覚えてるんだ)

 お小遣いをくれたり(覚えてるんだ)

 たまに口喧嘩したり(覚えてるんだ)

 すぐに仲直りしたり』

 

スマホの普及で思い出に残す手段がより身近になった。

何てことのない1日でも、それは2度と来ない1日でもある。

だから、今を大切に、記憶にも記録にも残す日々を過ごしていきたい。

 

2021/01/08